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儀式用品の歴史と由来

【 広蓋 】

広蓋古代・中世の人々は、物を唐櫃に入れて運びました。人にものを贈る場合も唐櫃で届けました。贈り物を相手に渡すときは、唐櫃の蓋を返して、この上に載せて差し出しました。 また引き出物を戴くときも、唐櫃の蓋にのせて戴き、唐櫃に入れて持ち帰りました。平安時代になると唐櫃の蓋には表だけでなく裏にも蒔絵や螺鈿で装飾が施されました。 鎌倉時代になると、蓋が独立して、「広蓋」とよばれるようになり、「平家物語」や鎌倉幕府の公文書である「東鑑」にその名称が見られます。室町時代には、広蓋の取り扱いに関する作法も整えられました。 江戸時代になると広蓋の使用は益々盛んになり、その装飾も一段と華やかになり、入れ子にした三つ組、七つ組の広蓋も登場し、それ自体が進物品となりました。その頃になると、贈り物には、広蓋に袱紗を掛けるという形が定着しました。 

【 袱紗 】

袱紗唐櫃から広蓋が独立して用いられると、贈り物を届けるとき、その道中での日除け、チリや汚れを避けるため、また体裁上キレで覆い、あるいは風呂敷のようなもので包まれていました。江戸時代になると覆いキレも立派な物になり、元禄の頃には裏をつけた現在の形になり、最高の裂で作られました。当初は覆いキレとして使われていた袱紗も贈り物が盛んになると飾 りキレとして美的要素が付け加えられ、贈り主の贈る心を込めた絵 柄が次々に作られました。 袱紗の柄を見れば相手の気持ちが分かるということから、冠婚葬祭 別の贈る目的にふさわしい意匠模様を工夫し動植物(松竹梅や鶴、鴛鴦)、能(高砂や猩々)、伝説・説話(鳳凰や宝船)、自然現象(日に出)などにその 素材を求めました。大きさは、広蓋を覆うということから広蓋より二割程度大きな袱紗が 使われました。江戸時代中期になると立派な袱紗は見せたいし、包むと汚れやすいという ことから、贈り物を広蓋に載せ、袱紗を掛け、風呂敷で包む現在の形になりました。 袱紗は、家紋を表とし絵柄を裏とするのが本来の形ですが、絵柄を略した紋のみの袱紗も 使われています。

【 風呂敷 】

風呂敷「水は方円の器に従い、風呂敷は方円の器を包む。」 方形の布で物を包み、運搬する。古くは奈良時代にまでさ かのぼります。正倉院御物の中にも舞楽の衣装包みとして用いられたものが残っています。平安時代になると『平裏(ひらつつみ)』と呼ばれるようになり、一般庶民が衣類を平裏に包んで頭上運搬している絵姿も残っています。江戸時代になると、入浴の際着物をつつみ、入浴後広げて敷いてその上で着衣したことから『風呂敷』と呼ばれるようになりました。元禄頃に、[包み]と[風呂敷]の融合がなされ、平裏も包む道具として の風呂敷と呼ばれるようになりました。 江戸時代に活躍した商人たちは風呂敷に商品を包み諸国を駆けめぐりました。一時紙袋に圧されていた風呂敷も環境保護・省資源という観点から、その役割は見直されています。

【 万寿盆・切手盆 】

万寿盆切手盆「万寿盆」は、婚礼や出産の内祝の饅頭や赤飯、餅などを配るのによく使われたところから、こう呼ばれるようになりました。広蓋が曲尺1尺3寸から3尺までのものを指すのに対し、万寿盆は正方形の1尺以下から4寸程度のものを指します。 「祝儀盆」も金封紙やご祝儀などの小さなものを送るときに使用します。20〜30cm程度の縦長の形がふつうで、弔事用には蓮柄などがあります